人類よ、清廉潔白であれ。
今日は、どうやら精神がドス黒く汚れきっている者ほど清廉潔白を主張する、1年のうちで2番目に凶悪な日らしいです。俗に言う「ホワイトデー」。
もちろん、年間でもっとも凶悪な日がいつなのかは、言うまでもないでしょう。
守銭奴の踊り子の地位に甘んじている人々に対しては、憐れみの感情すら浮かんできます。そんなことしたって、己らが豊かになることなどあり得ないのにね。
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しかし、いくらでっち上げとは言え、「白い日」と名乗る日である以上、守銭奴の踊り子としてではなく一個の人格、ひとりの人間として、己の精神を高め、より清らかな存在であろうと考えるべきではないでしょうか?
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昨年の今頃は、ちょうど統一地方選挙が控えていたこともあり、
自分たちの住むこの社会を清廉潔白にすることを考えてみましょう
などと語っておりました。
しかし、選挙の時に急に政治や社会について考えろと言われても、普段意図的にその手の話題を避けている人にとっては容易ではありません。
守銭奴や体制側の踊り子を続けるほうが、政治問題や社会問題について考えるよりも一時的には楽なのかも知れませんが、結局は自分たちの首を自分たちで絞めていることになります。
なので、まずは自分の身の回りから、どうやったら今よりもよくなるのか、どうやったら理不尽な境遇を改められるのか、といったことを、普段から考える必要があります。
かつて、日本には「生活の党」という政党がありました。その後「自由党」に改名するも残念ながら解党し、主要メンバーは現在立憲民主党に移籍しています。彼等の主張に、「政治とは生活」というものがありました。
そう。我々が普段強制的に徴収されている消費税や酒税、自動車税などと言った各種税金も、年々削られる年金や社会保障費も、ライフラインの最後の砦である割に体制側のポチどもの謎理論によって批判対象となってしまっている生活保護にしたって、すべて政治とは切っても切り離せません。我々一般ピーポーが政治問題や社会問題から遠ざかろうとしても、離れることなんて出来ないのです。
であれば、普段から政治問題や社会問題に関心を持って、それらをよりよくしてゆくために動くのが、人として、少なくとも民主主義国家を名乗る国に生きる国民としての責務なのではないでしょうか?
日本国憲法でも、「第三章 国民の権利及び義務」の第十二条において、次のように謳っています。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
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そう。我々の自由や権利は、為政者によって容易に毀損されます。現に、2012年の第2次安倍政権以降、次々と国民を苦しめる悪法ばかりが通るようになってしまい、もはや日本の民主主義は風前の灯火なのです。その灯火を絶やさないことは、我々国民に課せられている責務なのです。
これは脅しでも何でもなく、死にたくなければ、今すぐ体制側の踊り子をやめて、一個の人格、ひとりの人間として生きる道を選ぶべきです。そして常に精神を高め、清らかな存在であり続けましょう。
人類よ、清廉潔白であれ。