Telmina's notes

秋葉原通り魔事件

本日・7月26日は、2つの殺人事件にちなんだ日です。

 一つは、2008年6月8日に発生した「秋葉原通り魔事件」。この事件では7人が死亡し、10人が重軽傷を負いました。犯人の加藤死刑囚の死刑が執行されたのが、2022年7月26日でした。

 もう一つは、2016年7月26日に発生した「相模原障害者施設殺傷事件」。「津久井やまゆり園」元職員・植松被告によって起こされ、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせたという事件です。

 お恥ずかしながら、私はこのどちらの事件についても失念しておりました。否、正確には、「秋葉原通り魔事件」のほうはうっすらとは覚えていたものの、犯人の死刑執行がちょうど1年前だということは完全に失念していました。

 事件の内容そのものについては、ここでは多くを語らないことにします。ご興味のある方は下記リンク先などで各自調べてみてください。

 ただ、どちらの事件の犯人に対しても、その動機やその根底に流れる思想などを見ても、酌量の余地は全くなく、極刑を持って処されるべきです。特に相模原の事件については障がい者差別思想がその根底にあることや、その思想に裏付けられた派生事件が起きていることもあり、何重の意味にも許してはならないものです。

 昨年の秋葉原通り魔事件犯人の死刑執行を踏まえ、その翌日のブログ記事で、自分ははっきりと「日本で死刑廃止は時期尚早」と述べております。

 しかし、この秋葉原の事件の犯人のように「懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行」するような輩がいることを考えると、果たして「極刑とはなんだろうな」と思わされてしまいます。

 これは死刑反対派も賛成派も考えてほしいことですが、「死刑の方がマシ」と考えて人を殺すような犯罪者を正当に処罰するための「極刑」、どのようなものがよいのでしょうかね?

 自分がぱっと思い浮かぶものとしては、「終身刑」(≠無期懲役)や、米国のように懲役年数が加算式で積み上がって「懲役数百年」みたいなものにするなどということを挙げられますが、ほかにいいアイディアがなく(否、正確にはいくつか頭に思い浮かんでいるのだが、いずれも人道的観点からしてNG)、かと言って自分が思い浮かんだものが正解であるとも考えられません。

 あと、この手の事件を未然に防ぐためにも、犯罪を起こしにくい社会を作らなければならないとも思います。とは言っても、シムシティみたいに至るところに警察署を建てればいいというものでもなければ、為政者の思い通りにしか動かないように臣民を完全にコントロールすればいいわけでもない。

 相模原の事件の犯人のような重度障害者に対する偏見は、義務教育の時点でちゃんと思想信条に関する教育をしていればある程度は防げたのではないのかと思えます。とはいえ、学校内で障がい者を負傷させたことがあるようであり、学校もろくにその手の教育を出来ていなかったということなのかも知れません。

 昨年自分がブログに書いたような日本社会全体の民度の低下などを考えても、そして思想信条の歪みによる殺人事件すら起きている現状を考えると、やはり日本の教育システムを根本から見直さなければならないと思います。とはいえ、第二次世界大戦やその時期の植民地政策等に対する総括もろくに出来ないまま70年以上も経過してしまった本邦においては、自国民だけの力で真の教育改革をすることなど到底無理でしょうから、戦後ちゃんと総括をしてナチス思想は悪いことだと認識出来ているドイツあたりから有識者を招いて教育改革をすべきなのです。間違っても新自由主義者に毒された日本の商人などにやらせてはなりません。

 でもそれぐらいやらない限り、また第二・第三の秋葉原事件や相模原事件は起きます。起きたときだけ騒いでも意味が無いのですから、事件を起こさせないような社会を実現させ、国民の思想信条レベルもその域にまで高めなければならないのです。

「肉の万世」店内から撮影した秋葉原電気街

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2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加害者に対する死刑が、昨日執行されたとのことです。

 個人的にも、犯人に対しては同情の余地は全くなく、死刑執行そのものは妥当だと思います。

 ですが、重大事件絡みの死刑執行のたびに、死刑制度そのものの善し悪しについて考え込んでしまいます。

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