秋葉原通り魔事件加害者の死刑執行に想う

2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加害者に対する死刑が、昨日執行されたとのことです。

 個人的にも、犯人に対しては同情の余地は全くなく、死刑執行そのものは妥当だと思います。

 ですが、重大事件絡みの死刑執行のたびに、死刑制度そのものの善し悪しについて考え込んでしまいます。


個人的には「日本で死刑廃止は時期尚早」だと思うが…

 まず、もし自分が「死刑制度に賛成かどうか」と質問されたならば、間違いなく「賛成」と答えることでしょう。むしろ、秋葉原通り魔事件が起きた2008年よりも確実に国民全体の民度が、それも著しく低下している日本においては、死刑制度廃止などもってのほかだと思います。

 とはいえ、後述する3つの理由により、死刑制度反対の意見を切り捨てることも出来ずにいます。

①冤罪への懸念

 刑罰については人間が判断するものですから、冤罪だって起こることでしょう。

 もし冤罪になってしまったならば、それが死刑でなくても対象者の人生は崩壊してしまいますが、とりわけ死刑の場合は命そのものが奪われてしまうため、死刑執行後に冤罪が判明したら後の祭りです。

 冤罪の可能性を最小に食い止めるためにも、とりわけ死刑執行については慎重におこなわれている、と思いたいのですが、次のようなことが起きるとそれすら怪しく思えてしまいます。

②死刑の政治利用への懸念

 重大事件絡みの死刑執行と言えば、2018年7月にオウム真理教の幹部13名の死刑が相次いで執行された、ということがありました。

 死刑執行前から、本件については「死刑の政治利用なのでは」という懸念が出ていました。

 この記事の中ではこんなことが書かれています。

「既に政界では、執行を判断する安倍政権による麻原死刑執行の『政治利用』がささやかれています。今後、スキャンダル発覚などで安倍政権が追い込まれたら、すかさず死刑を執行し、世論の目先を変え、追及から逃れるという算段です」(官邸事情通)

 2018年と言えば、翌年に天皇陛下(現在の上皇さま)の生前退位があり、そこでオウム幹部を「恩赦」させないための死刑執行だったのではという意見もあったかと思いますが(元ネタ失念)、自分も当時その意見を支持していました。

 まあ、当時の政権の矛先ずらしであろうが恩赦封じであろうが、これで一連のオウム絡みの事件の真相究明が不可能になってしまったのも事実です。

 オウム幹部への死刑執行の時は、さすがに自分も、一時は死刑を廃止すべきと考えたほどです。こんな形で死刑が利用されてしまうようでは、制度が正しく運用されているとは言いがたいです。

③死刑が「極刑ではない」一部犯罪者の存在への懸念

 残念ながら、世の中には「死刑になるために犯罪を起こす」者も存在します。

 そんな犯罪者によって何の罪もないのに命を奪われてしまった人は到底浮かばれないことでしょう。

 秋葉原通り魔事件の犯人も、

懲役刑よりは死刑になった方がましだと考えて決行した

のだそうです。

 彼らにとっては、死刑はもはや極刑とは見なされていないわけです。

 では、彼らにとっては何が「極刑」なのでしょうかね?

 自分でもぱっと思い浮かぶものとしては「終身刑」や、米国のように加算式で懲役数百年とかがありますが、それにしたって、「社会に適合できず、生きるために犯罪を犯す」類いの人にとっては決して極刑とは言えないでしょう。要は死ぬまで国に面倒見てもらえるわけですからね。

 余談ですが、私は子どもの頃、「無期懲役」を「懲役∞年」(つまり事実上の終身刑)と解釈していましたが、それは大間違いで、あくまで刑期が決まっていない懲役に過ぎません。

 下記の記事では、無期懲役のあとに社会から受け容れられずに再犯するというケースにも触れられています。ですので、「死刑がダメなら無期懲役」とは単純に言えません。

 殺人を含む犯罪に対する罪の意識の全くない輩についてはどうしようもないにしても、「生きるために犯罪を犯す」人が確実に存在することを考えると、「犯罪を犯さなくても最低限の生活が出来る」社会を目指さなければなりません。消費税廃止やベーシック・インカムの導入などは、この観点(犯罪抑制)からも大いに議論されるべきでしょう。

通り魔事件による個人的な影響は?

 私は現在でこそ秋葉原電気街の徒歩圏に住んでおり、時々実際に電気街に足を運ぶこともあります。

 しかし、事件があった2008年当時、私はまだ埼玉県に住んでおり、しかもそのときは秋葉原電気街には見向きもしていなかった(つまりいわゆるメイド喫茶全盛期も経験していない)ため、通り魔事件が私に直接与えた影響は皆無でした。

 現居住地に引っ越してきた2013年以降、日曜日に電気街の歩行者天国に行くと、以前は「ここで通り魔事件があったんだよな」とか「今同じような事件が起きたら、私、死ぬのかな?」などと考えることもありました。しかし、昨今では歩行者天国に行っても、「横断歩道で信号待ちせずに済む」程度の認識しか持っていません。つまり、元々事件の直接的影響を受けていなかったこともあり、自分の中では例の事件はほぼ風化してしまっておりました。

 しかし、加害者の死刑が執行された今だからこそ、もう一度この事件について振り返り、自衛可能な範囲で自衛したいものです。

 …そう。自衛は必要。昨今では、街中を歩いていても、大型車ではなく自転車ですが、平気で人にぶつかってくる輩が多すぎます。実際に先月は私も2度も自転車乗りにぶつけられました。しかもぶつかってきた2匹とも罪の意識がなく、うち1匹はガンを飛ばしてくる始末でしたからね。冗談抜きで、東京都と警視庁には是非、自転車免許の導入を本気で検討して欲しいくらいです。

 昨今の日本人の低民度ぶりを考えると、秋葉原通り魔事件のような事件は間違いなくまた起きるでしょう。そうならないためにも、犯罪を起こしにくい社会を作らなければならないのですが、政治家にも一般国民にもそんな考えはなさそうだと思うと、頭が痛くなります。

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「肉の万世」店内から撮影した秋葉原電気街