10年前の北海道旅行、3.11後

今週中、3回にわたって、自分が10年前に実行していた北海道旅行について振り返っていました。

 旅行の真っ最中に東日本大震災が発生してしまったことで、私の旅行計画、特に復路の行程は完全に崩壊してしまいました。

 当初の予定では、3月13日に鉄路で関東に戻ることになっていて、札幌から、特急「スーパー北斗」、「スーパー白鳥」、そして当時登場したばかりの東北新幹線「はやぶさ」のグランクラスを乗り継ぐはずでした。しかし、青函トンネルも新幹線も不通となってしまい、13日の帰宅は諦めることとなりました。


 3.11当日はついに家族や親戚と連絡を取ることが出来ず、自分が実際に連絡を取ることが出来たのは翌12日の朝、しかも、KDDIのケーブルが断線した影響で、自分が主として使っているau電話から家族と通話することが出来なかったため、たまたま別に契約していたソフトバンク回線(iPhone)を用いて連絡を取りました。

 そのあと、12日の日中に自分が何をしていたのか、あまり覚えていません。やたらと無駄にブログで生存表明していた記憶はあるものの、そのブログも既に現存しません。

 なお、12日は「札幌駅前通地下歩行空間」が開通した日であり、前日の東日本大震災の直撃を受けていない札幌市では祝賀ムードになっていました。自分が札幌に到着した10日の時点では未開通だったことや、札幌の地理に全く明るくなかったこともあり、地下鉄でさっぽろからすすきのまで移動したのですが、その後自分は地下鉄には乗っていません。とりあえず、そこを歩いた覚えはありますし、手元に残っている写真の記録では、札幌駅北西側にあるヨドバシカメラ マルチメディア札幌にも行ったことになっているのですが、何を買ったのかについては覚えていません。

開通当日(2011年3月12日)の「札幌駅前通地下歩行空間」 ヨドバシカメラ マルチメディア札幌

 この日は、夕方から札幌在住のネット上の知り合い2名と会ってきました。自分と年齢の近い男性と、自分たちより年上の女性。最初は3人で近くのバーで飲んで、そのあと女性と別れて男性2人だけになってから、すすきのの歓楽街に案内していただきました。当初はここで一線を越えるはずだったのですが、飲み過ぎた上に3.11の影響で旅行計画が崩壊して、どうやってうちに帰ろうかと途方に暮れており、とても心から楽しめる状況ではありませんでした…。

 残念ながら女性のほうとはその後Twitterで相互ブロックになってしまいましたし、男性のほうは今でも相互フォローを維持しているとは思うのですが、自分自身がめったにTwitterで発言しなくなってしまったため、ここ数年まともにやりとりしていないというのが実情です。

 当初は帰宅するはずだった13日の朝に、もう1日札幌に滞在することにしたのですが、あいにく宿を13日チェックアウトの分までしか確保していなかったため、「札幌グランドホテル」でさらに1泊することにし、さらに14日に新千歳空港から羽田空港への空路も予約することにしました。

 ホテルには早めにチェックインしたのですが、その後も札幌駅の南側辺りをうろついていて、あまり遠出をした覚えがありません。札幌市時計台までの距離が短くなったので、再びそれを撮影してがっかりしたり(ぉぃ)、前夜ご一緒させていただいていた女性の勧めで「ODORI BISSE(大通ビッセ)」でスイーツを食したりしていました。

 この日の夜、自分が何をしていたのかはあまり覚えていません。震災が発生したという実感をまだ持てなかったのですが、それでもあまりよく眠れなかった覚えがあります。

札幌グランドホテル 札幌市時計台再訪(2011年3月13日撮影) BISSE SWEETS BISSE SWEETS内「あまとう」でスイーツを食す

 14日、ついに1日遅れで帰宅することとなりました。先述の通り新幹線での帰宅が不可能になってしまったので、大変不本意ながら、人生初の飛行機搭乗と相成りました。

 自分が搭乗することにした飛行機は、はじめてであるにもかかわらず、ANAプレミアムクラスを選びました。当初はやぶさのグランクラスに乗るはずだったから、別にいいでしょ?

 なお、残念ながら写真は現存していませんが、新千歳空港のANAラウンジで、「サッポロクラシック」のビールサーバを携帯電話で撮影していました。無料でビール飲み放題だったわけですが、さすがにあまりお酒に強くない私はせいぜい2杯ぐらいで打ち止めにしていたように記憶しております。

当初来る予定ではなかった新千歳空港駅(2011年3月14日撮影) 快速「エアポート」(785系・2011年3月14日撮影)

 生まれつき運に見放されている自分のことだから、乗った飛行機が羽田に着く前に墜落しないかとビクビクしておりましたが、そんなこともなく、無事に羽田にたどり着きました。着陸前に、太平洋沿岸を一望できたのですが、荒削りな感じで、いよいよ震災が起きたということを、さすがの自分も実感することとなりました。

 羽田に着いてから、京急電車が動いていなかったため、当時自分が住んでいたところの最寄り駅である東武東上線志木駅にも直通するリムジンバスに乗ることにしました。都内の高速道路は、事前に聞いていた話がウソであるかのようにすいすいと進むことが出来たのですが、埼玉県内の一般道に入ってから大渋滞に巻き込まれてしまい、志木駅前にたどり着いたのは、投書予定時刻よりもだいぶ後でした。自分の記憶が確かならば、2時間以上遅延していたと思います。

 鉄道の運行も取りやめられていたので、志木駅の売店も改札内も照明がほぼ落ちていて、この世の終わりかと思えるほどでした。

 何とか帰宅したら、案の定自室は散乱していて、落下こそしていなかったもののテレビの位置も大きくずれていました。台所に無造作に置いていたワイングラスが落下どころか倒れてすらいなかったのは本当に奇跡的。

 なお、3.11発生後、Twitterでは多数の元フォロワーからフォローを外されてゆきました。自分が直撃を免れて北海道旅行を堪能していることをお気に召さなかった人が多かったようです。しかし、そのことで思い悩んでいたところ、「どうせ関東に戻ったら大変なのだから旅行をの多しむべし」というご意見もいただき、これがどんなに自分にとって精神的に救いになったことか。

 関東に戻ってからは、その後度々余震にビクビクすることとなりますが、その都度、「当日関東にいなくてよかったね」「本震はこんなもんじゃない」などと言われる羽目になりました…。

 10年前は本当に本震の直撃を避けることが出来て、文字通り不幸中の幸いだったと思っています。当時元々大金を持ち歩いていたので、新幹線の不通が報じられた後、飛行機での帰京を早めに決めることが出来ましたが、いきなり災害が起きても大きく生活を乱さないようにするために、あらゆる意味で備えを怠らないようにしたいと思います。特に、携帯電話の回線は複数維持することにしましたし、食料の備蓄も1週間分ぐらいは確保することにしています。もちろん災害が起きないことに越したことはありませんが…。

 自分は本震の直撃を避けられたとは言え、10年前の北海道旅行が、直撃を受けた人とはまた別の意味で、備蓄に対する重要性を教えてくれました。

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